会場紹介 ブログ
2024年08月19日
本日は新たにフォトウェディングのご案内が可能になりました
歴史博物館旧吉田茂邸についてお話させていていただきます
🌞
日本の戦後を導いた宰相吉田茂は終戦の昭和20年(1945)に別荘を改めて
本宅として居を構えました。
総理大臣時代、激務だった吉田茂の気分転換は、週末を大磯で過ごすことだったといいます。大磯の開かれた海、明るさ、暖かさは、戦後日本のかじ取りという大きな使命を担った吉田を癒しました。
内閣総理大臣を辞任したのちも、政財界の要人を筆頭に様々な人々が訪れました。吉田邸を訪れる人が絶えないために「大磯詣(もうで)」という言葉ができたそうです。。
吉田は自身の邸宅を海外の賓客を迎えるための迎賓館として改築し、世界各国からの賓客を多く受け入れました。
このように戦後間もない時代、大磯吉田氏邸は「決断」を繰り広げてきた「決断の聖地」として知られています。
平成21年(2009)原因不明の火災が発生し、母屋は全焼してしまいました。
その後再建を願う声の高まりを受け募金活動等が行われ、
平成28年(2016)に再建工事が完了。
平成29(2017)年より一般公開が行われています。
建築としての特徴は、
応接間棟以外の大部分は、建築家・吉田五十八の設計による増改築で、吉田茂が自邸を外国の要人が宿泊できる迎賓館にしたいとの思いから依頼しました。伝統的な数寄屋造りとモダニズム建築の融合を確立させた五十八流の世界観が随所に見られますが、アイゼンハワー大統領のゲストルームを意図して造ったとされる新館2階の「金の間」「銀の間」には、施主の使用意図を考慮して日本的な風情を強く打ち出しています。
食堂(ローズルーム)
食堂として使用されていた部屋で、別名ローズルームともいいます。
部屋の中央には大きな長テーブルがあり、普段の食事だけでなく、来客をもてなす際にも使用されました。
現在会食を伴う結婚式の認可はおりていないのですが将来的には
こちらで挙式後の会食などもできたらと素敵と思い、願いも込めて会食風の撮影もさせていただきました☺
金の間
賓客を迎えるための応接間として利用されていました。
「金の間」という名称は、部屋の装飾に金を用いたことからきています。
金の間からは、箱根や富士山といった山々と太平洋とを一望することができます。吉田茂はこの部屋から見える富士山を大層気に入っており、毎日のように眺めていたそうです。
今回A&TWEDDINGではこの金の間を挙式会場に見立ててお写真撮影をしました(^^♪
銀の間
吉田茂が寝室として寝起きをしていた部屋です。この部屋のベッドでその生涯を終えました。
銀の間の装飾には銀が使用されており、金の間と対になる形で、その名称の由来となっています。
吉田はこの部屋を書斎としても利用していました。部屋のガラス棚には蔵書が並べられ、ベッド横の窓際には執務用の机が置かれていました。
結婚式の日はこちらを新郎新婦様のお支度のお部屋になどと考えております!
(https://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/kyuyoshidatei/info/15495.html)
大磯町郷土資料館のウェブサイトより転載
このほかにも書斎や楓の間、入ることはできないですが文化財登録されている
サンルームなど素敵スポット満載のレトロ婚 文化財ウェディングなどに関心のある方には特におすすめの会場となっております!
https://at-hiratsuka.com/place/%E6%97%A7%E5%90%89%E7%94%B0%E8%8C%82%E9%82%B8/